「関宿で殺人事件は起こさせたくない。」

(5)人にかかわる物語

 町並み保存に古くから取り組まれている町には、どこにも「伝説的なお話」というものがあるものだ。ちょっと聞きかじるだけだと、お年寄りの自慢話、武勇伝程度にしか感じられない「伝説的なお話」も、もしその中にまちなみを守ってきた有益なことがらが含まれているとしたら、それは正しく語り継いでいかなければならないと思う。

話のきっかけ

 このお話を思い出すきっかけとなったのは、コロナウイルス騒ぎのさなかSNS上で広がった「7日間ブックカバーチャレンジ」でのことだ。

 ある有名な推理作家が書いた推理小説のブックカバーとともに、自らの体験をFBに投稿されたのは、関宿の老舗和菓子屋の若旦那H氏だった。

 その内容を簡単にまとめると次のようなものだ。

 ある日、著名な推理作家が関宿の老舗を訪れ、店の主人に「関宿の老舗和菓子店の主人が殺される推理小説を書こうと思っている。」と申し出た。話を聞いた主人は、町並み保存が始まったばかりの関宿を、広く世に知らしめるチャンスととらえ、小説の中で自ら(正確には“自分と同じ老舗和菓子屋の主人”)が殺されることを承諾した。H氏はその老舗和菓子屋の跡取り息子。主人との話を終えた推理作家を車でお送りするという役割を果たしながら、出来上ってくるであろう小説に期待を膨らませた。

 しかし、事はここから大きく動く。ご主人(夫)が殺されることを知った奥方が強硬に反対したのだ。自分の夫が小説の中とはいえ殺されるのはいい気がしない。そして、中には小説を真に受ける人がいないとも限らず、老舗の看板に傷がつきかねないというのだ。家族会議を重ねた末、この申し出はお断りすることになり、主人は自ら手紙をしたため丁重にお断りした。作家はやむなく承諾したが、せっかくの取材が無駄になったとご立腹だったという。

この「伝説的なお話」の検証

この話を少し検証してみたいと思う。

 まず、その著名な推理作家は旅情ミステリー作家の代表的人物として知られている。描かれる小説の中では、地方の誰も知らないような土地、そしてその土地に伝わる伝説などを紹介しながら、現代に起こった殺人事件の謎が刑事やルポライターによって解かれていく。
 小説の設定に極めて近い老舗が実在するとなればリアリティが増して作品としてとても面白いものになる。推理作家は、老舗に寄せた設定をする上で前もって老舗を取材し、ここにしかなさそうな小説(事件)のネタを探そうとするだろう。と考えれば、有名な推理作家がわざわざ関宿の老舗を訪問したとしても、そんなにおかしなお話ではない。この老舗和菓子店は江戸時代初めの創業。歴史を越えた因縁、愛憎などいろいろとありそうで、事件が起きる場所としては申し分ないのだ。

 ご主人は老舗和菓子屋の13代目である。老舗にとっては小説が世に出るとそのモデルとして多くの人に知られることになり、店の繁盛にもつながるはずだ。加えて、ご主人は関宿の町並み保存会で長く役員を勤められていた。自らが主人である老舗の行く末とともに、始まったばかりの町並みの行く末をも真剣に考えられていたのだろう。町を有名にする方法はいくつもあるだろうが、映画やテレビドラマ、小説の舞台となることは最も効果が大きい手段のひとつと言って良い。この話をチャンスととらえ、一旦引き受けたとしても全く不思議ではない。

  そして、投稿したH氏自身が、その当日に推理作家を駅まで車でお送りしたとの証言があるのだから、有名な推理作家が関宿を訪れ、取材方々店の了解を取ろうとしたが、喧々諤々の家族会議の結果、お断りすることになったことは紛れの無い事実なのだろう。

老舗の店先(おひなさまの飾り付け)

新たな証言

 この事件に関し、他に証言者は見当たらない。

 推理作家はお忍び取材だったろうから、同席した人も出版社の人くらいのものだ。それも結果として断られているのだから、新たな証言を求めることは難しい。主人も、またとないチャンスをつぶした張本人だ。これを口外することはあまりなかったはずだ。となれば、このお話、H氏の投稿が無ければ、隠れたエピソード程度で歴史の中に消えていってしまうお話だったのだ。

 いずれ歴史の中に消えてしまうのであれば、私自身のささやかな体験を加えたとしても罪はないだろうと思うので、この場で私の新たな証言を加えさせていただこうと思う。

 それは、ある日の午後、老舗和菓子店が忙しくなくなる時間帯を見計らって店を訪れた時のことだ。一人で店番をしながら本を読まれていた主人が話をはじめられた。
 内容は上記H氏の証言とほぼ同じ内容なのだが、新たな証言となり得るのは、この話はご家族だけでなく、当時関町の教育長をされていたO先生(故人)にも相談をし、お断りの手紙は、一旦了承した自分からではなく、O先生から送っていただいたというものだった。その上で、ご主人は、一連の話を「今ならよかったかもしれないけれどね。」と締めくくられたのだ。穏やかに笑われたご主人のお顔は、今でも印象深く記憶に残っている。

 さらにこんなお話も聞いたことがある。

 岐阜県のある著名なまちなみ保存地区では、テレビや映画の撮影であっても町で殺人事件は起こさせないようにお願いしている。テレビや映画の撮影が行われると多くの人の眼にとまり大変ありがたいことなのだが、それが殺人事件となると、穏やかな町のイメージを損なう恐れがあるからだ。というのだ。

 かなり前の話になるが、くだんの岐阜県の某有名町並み保存地区で担当をされている方とお話しする機会があり、「こんな話を聞いたことがあるのですが本当ですか?」と失礼ながら直接お聞きしたことがある。
 答えは・・・・、「そうです」というはっきりとしたものではなかったが、「確かに、犯人が逃げてくることはあっても、この町で殺人事件が起きることは無いようですね。その影響かは分かりませんが、隣町ではよく殺人事件が起きるようですよ。」と。 

野暮なこと

 この話の中で重要なことは、まずは「なぜ断ったのか?」ということだ。私はこう考えている。

 横綱級の著名な観光地でさえここまで考えているのに、今まちなみ保存を始めたばかりの無名の小さな田舎町が、これを本当にチャンスに代えられるだろうか、との懸念があったのだと。

 そう思うと、ご主人が最後にぽつっとおっしゃった「今ならよかったかもしれないけどね」という言葉に合点がいく。町並み保存が進んだことへの自信がそう思わせたのだと。

 「伝説的な話」に真実を求めることはあまり意味がないことなのかもしれないが、私はこのように信じているのだ。

 この話の主人公である件のご主人が、数日前に亡くなられたことを知った。

 飄々とし、いつも笑顔で、偉ぶることも、自分を飾ることもされなかったご主人のことだ。「今さら、そんな野暮なことするなよ。」と笑っておられるかもしれないが、ただ、誰よりも関宿のことを大切にされた、その純粋な想いはしっかりと受け継ぎたいと思った。

 心よりご冥福をお祈りしたい。

この記事をシェアする。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。