高札とは、幕府が定めた法度や掟書、宿場の決まりなどを板に記したもので、高札を掲げた場所が「高札場」です。人々に周知徹底することが目的ですから、宿場の入口や中心部など、往来が多く目立つ場所に設けられました。
『東海道宿村大概帳』の記載から、掲げられていた8枚の高札に書かれていた内容を知ることができます。その内容は、生活にかかわる諸規範や、切支丹、火付、盗賊、毒薬・偽薬、徒党(ととう)の禁止などです。
宿場ならではのものとしては“駄賃の定”があります。駄賃は荷物を運ぶ時の運賃で、隣の宿場までの公定の運賃が記されています。
高札場があるこの場所は、「御茶屋御殿」と呼ばれ、江戸時代初期には本陣の役割を果たしていましたが、その後は亀山藩の施設として番所などが置かれていました。
高札場は、間口11間余あった御茶屋御殿の街道に面したほぼ中央に、枡形状の土塀に囲まれてあり、「高サ弐間四尺弐寸 長三間弐尺五寸 幅壱間弐尺」(「御分間絵図御用 宿方明細書上帳 関宿」(服部家文書))の大きさがありました。高札場の建設、高札の付け替えなどは亀山藩が行っていました。
江戸時代にあった高札場は、明治10年(1877)に取り壊され、現在の高札場は、平成16年(2004)3月、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて20周年の記念として復元されたものです。
※この場所に行き、実際に見るためのヒント
●関郵便局前を目指してください。