関宿のまちなみ保存について その3
- By: 関宿まちなみ研究所
- カテゴリー: (6)関宿のまちなみ保存, ”関宿”案内記
- Tags: 町並み保存
3回目は、講座の後半です。
関宿のまちなみ保存がテーマとしてきた“生活をしながらの保存”について、そして関宿の活用について、私の思うところをお話させていただきます。
※この投稿は、先日、コロナ緊急事態宣言下でさせていただいた関宿に関するweb講座の口述原稿を基に、うまく話せなかったこと、話しきれなかったことなどを含め、加筆修正したものです。
7)ここで、ひとやすみ
すこし、難しい話が続きましたので、ここで少し気楽なお話をさせていただければと思います。
これは、関宿の私の好きな場所のひとつを写したものですが、この写真を見てどのように感じられますか?
この写真の右手、街道に沿って並んでいる3棟の伝統的建造物ですが、一番手前の建物は江戸時代に、中央の建物は明治時代に、奥の建物は昭和初年に建てられた建物です。二階が順々に高くなっているのがお分かりいただけるかと思います。関宿の町家は江戸時代には二階が低いのが一般的で、それが明治時代、大正・昭和と徐々に二階が居室として整備され、建物の高さもそれに従って高くなっていきました。私がこの場所が好きな理由は、そうした関宿の町家の住居としての発展がまちなみに表れていると思うからで、この写真もそういう意味で撮影しています。
しかし、なんの説明もなくこの写真だけを見ると、むしろ建物の前面を覆う格子戸に目が行ってしまうのではないでしょうか。そして、「古い町並み=格子戸が並ぶ町」とどこかで決めつけてしまってはいないでしょうか。
格子戸が悪いと言っている訳ではありません。規則正しく、整然と並ぶ格子戸は、それだけでとても目をひく存在です。ですが、それゆえにそれぞれの建物の個性というものを見えにくくしてしまっているのではないか、と思うのです。
まちなみの保存では、一つひとつの建物を適切に保存することが大切だと申し上げました。その基本は、一つひとつの建物を個性あるものとして認めるところにあると思います。そこで、関宿の中から、一つひとつの町家の個性と言えるものを探してみたいともいます。
まず、これは関宿の町家の正面意匠のところでも説明した「虫籠窓」です。その形は四角かったり丸かったり様々です。これは、関宿を代表する大旅籠「玉屋」ですが、屋号にちなんで宝珠(=“玉”)を象った虫籠窓が付けられています。漆喰壁の色も白だけでなく、他に黄、黒、青があります。
これは、庇屋根や二階の壁に付けられた漆喰細工です。「鶴亀」「龍虎」といった題材で作られています。この「鯉の滝登り」は、庇の瓦の重なりを川の流れに見立て、その後ろに波しぶきと飛び跳ねる鯉を漆喰で描いています。
瓦もひとつひとつが違っています。これは流水紋の軒瓦ですが、よく見ると水の流れの中に桜の花びらと紅葉(楓)が散らされています。
これは、「庵看板(いおりかんばん)」と呼ばれる、屋根のついた看板です。関宿でも老舗菓子屋1軒にしかないものです。
これは、真壁の建物に防火のため付けられている「袖壁(そでかべ)」ですが、屋号が書かれていて街道から見ると看板の役割も果たしています。袖壁に書かれた屋号は、江戸方面から来た人が見るとひらがな、京方面から来た人が見ると漢字と、字体が変えられています。これは旅人が進む方向を間違えないようにとの工夫なのだそうです。
これは「幕板(まくいた)」で、店先に雨露が吹き込まないようにするため、庇の桁に取り付けられています。板に桟を打ちつけただけのものや、枠を組んで板をはめたものがありますが、店先が暗くならないよう板に穴をあけたり、板の代わりにガラスをはめたものもあります。
そして、少し悪者にしてしまった格子戸ですが、一つの建物でも、座敷の前面と土間の前面とでは、全く違った格子戸がはめられています。
と、このように、まちなみの中には、今まで気づかなかった決まり事、それぞれの建物でのちょっとした工夫、主人の自己主張等が、形あるものとして残されています。このことに気付いて頂ければ、まちなみの見え方が変わるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
8)生活をしながらの保存
さて、先ほど関宿のまちなみ保存のテーマは「観光化」から「生活をしながらの保存」に変化したと申し上げました。ここで、少し補足しておきたいと思います。
まず、関宿では「観光化」だけではまちなみの保存はうまく進まなかったという点です。関宿でまちなみ保存が始まった頃、すでに妻籠や高山にはかなりの観光客が訪れていました。ですから目指すべき目標はすぐそこにありました。しかし、関宿の居住者の多くはサラリーマンで、観光から利益を得るというより、ここでの暮らしやすさに関心がありました。居住者が感じた懸念は「保存(規制)が、自分たちが目指す現代的な生活を制限するのではないか」というものだったと思われます。そうした意味では、町並み保存が始まった当初は、「生活をしながらの保存」というテーマは「保存のための規制が現代的な生活を制限しない」という意味合いで使われていたと言えるでしょう。
これが、保存の意義が理解されるにしたがって、「生活と保存の両立」、「まちなみに暮らしながら保存を進める」という具合に意味が転化し、今では「住民主体のまちづくりとして町並み保存」へと深化したのだと思います。関宿のまちなみ保存は、決して熱気の保存運動ではありませんが、「生活をしながらの保存」という意識は、住民の生活の中にしっかり定着しているように感じます。
とはいえ、そうした意識を持ち続けることが難しい状況は、関宿にも訪れています。少子高齢化や地域経済の疲弊、空家の増加などのためです。しかし、関宿には、そうした問題に立ち向かえる潜在的な力が他の町に比べて十分にあり、保存地区であることが有利に働くと確信しています。
関宿では、まちなみの保存事業が40年にわたって、細々とではありますが、毎年毎年継続して行われています。これが続けられる限りは、少しづつではあっても、まちは確実に良い方向に変わっているのですから。
9)まちなみの活用についての私の考え
それでは、最後に“まちなみ”という文化財の活用について、私なりの考えを簡単にお話して、講座を終えたいと思います。
そもそも、文化財の「活用」が話題に上るようになったのは、文化財保護法の第1条に「この法律は、文化財を保存し、且つその活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする」と書かれていて、「文化財の保護=保存+活用」と理解されているからです。そして、文化財保護に関わってきた方々の「保存に重点を置くあまり、活用がおろそかになっていた」という反省がその根本にあります。
そして、もう一つ背景を加えるとすれば、海外からのインバウンドを取り込もうとする「観光立国」の考えが、近年急速に浸透しつつあることがあります。
3年ほど前になるでしょうか。地域活性化を担当する大臣が、活用が進まない状況に腹をたて「ガンは学芸員」との発言をしたことがありました。こんなバカげた発言をされるのには、何か大きな誤解(本当は“無理解”と言いたいところなのですが)があったのだろうと思います。 少子高齢化、人口減少、地域経済の衰退といった先行きを不安にさせる世情が深まる中、関宿においても「保存などしてもまちは潤わない」といったことをささやく方があるようです。
私も、関宿を多くの見学者が訪れ、地域に賑わいが生まれ、経済的にも豊かになることを願っています。しかし、それは関宿があってこそのことです。文化財は、一度失われてしまうと二度と元通りにはできないものです。そして、関宿は今生きている私たちだけでなく、将来にわたって、この町の財産で有り続けなければならないのです。末永い「活用」のためには、しっかりとした「保存」が無ければならないのです。
関宿の町家は、もともと店舗併用住宅と言われるものです。そして関宿自体が、このまちを訪れる人々をもてなすことで暮らしを立ててきました。関宿のまちなみ保存の目標は、まさに関宿が本来の姿を取り戻し、さらに充実させ、そしてこれを次の世代に引き継いでいくことです。私には関宿がテーマとしてきた「生活をしながらの保存」が「文化財の保護(保存と活用)」に反するものであるとは思いません。むしろ同義語のように感じています。
このテーマを前提に考えれば、関宿にとっての最大の活用は、個々の伝統的建造物が、そしてまちなみが本来持っている良さを大切にしながら、“生活の場”として使い続けていくことだと考えています。
最後は、ご紹介できる事例がなく、抽象的なお話になってしまいました。申し訳ありません。では、これで講座を終わらせていただきます。一日も早く関宿でお会いできる日が参りますことを願っております。ありがとうございました。
(おわり)
追記(2021.02.02)
言葉足らずであったところを「追記」として補足させていただきます。
“保存とは変えないこと”と理解している方が多いと思います。しかし、“保存”するために行う修理では、“保存するもの”と“保存しないもの”の選択が行われています。“保存”することは、“変化しないこと”ではなく、その時々の選択により“変化の方向を決める”ことだと考えています。まちなみの今の姿は、“変化のない昔のままの姿”ではありません。時々の選択が積み重ねられた結果なのです。
また、何もしないで良いとは考えていません。ただ、何かをするのであれば、“関宿が持つ潜在的な力”や“保存地区であることの有利さ”を十分に踏まえたものでなければならないと考えています。