“東の追分”は関宿に二つある追分のうちの一つです。
関宿は東西約1.8キロメートルの長さがありますが、その東西両端に“東の追分”、“西の追分”の二つの追分があり、東の追分からは“参宮道(伊勢別街道)”が、西の追分からは“加太越え奈良道(大和・伊賀街道)”が、それぞれ東海道から分岐しています。
東の追分から分岐する参宮道は、その名の通り伊勢神宮方面へ向かう街道で、東の追分から江戸橋(三重県津市)で伊勢街道(※1)に合流します。東の追分から伊勢神宮外宮までは15里(約60キロメートル)の距離がありました。
東の追分の街道分岐点には、街道を跨ぐように鳥居が建てられています。この鳥居は、“伊勢神宮一之鳥居(いちのとりい)”と地元では呼ばれています。
鳥居の東側には1基の常夜灯があります。
この常夜灯は、石柱に、
「常夜灯 大阪 津国屋重右衛門 江戸 嶋屋佐右衛門」
「元文五庚申歳正月手板組中」 と刻まれ、
火袋には、
「享和元年辛酉天 仲夏下旬再造替」
「工匠 當國内宮領長峰住 徳田庄九郎 親範」
と書かれているようです。
また、常夜灯の周りにある石製の柵には「安政2年(1855)」の文字が刻まれています。
こうしたことから、この常夜灯は元文5年(1740)に設置され、石柱に乗る火袋だけは享和元年(1801)に作り替えられ、安政2年(1855)には常夜灯の周りに石柵が設置されるというように、手入れがされながら約280年にわたり火を灯し続けている(現在は電気ですが)ことがわかります。
東の追分には、このほかにもいくつかの石碑や常夜灯があったようですが、現在は市が取り外した上で保管しており、現地に戻される機会を待っているようです。
東の追分にある鳥居、常夜灯、石碑などは、東の追分が伊勢神宮へ向かう街道の玄関口であることを示す“道しるべ”となって、伊勢参りの人々に道を示し続けているのです。
<補足説明>
※1 伊勢街道(参宮道)は、伊勢に向かう日本各地の街道に用いられており、特定の区間を示すことはむつかしい。ここでは、三重県における通例にならい、東海道から“日永の追分(三重県四日市市)”で分岐し、伊勢神宮に至る街道を指しています。
<この場所に行き、実際に見るためのヒント>
●関宿の東端。
●JR関西本線「関駅」からは、駅を出て国道1号沿いに右(東)に進み、信号のある交差点「東海道関宿東」で左(北)に折れ、坂を上るとある。徒歩10分程。
●まちなみからは、ただひたすら東に進むと右手に突然現れる。個人的には、こちらのコースがおすすめ。東海道を歩いてきて、いよいよ伊勢に向かうという気分になれる。
●危険ですので、常夜灯には登らないでください。もちろん鳥居にも。
<参考にさせていただいた本など>
『鈴鹿関町史 上巻』昭和52年/関町教育委員会
『鈴鹿関町史 下巻』昭和59年/関町教育委員会
『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌 -まちを活かし、まちに生きる-』平成27年/亀山市
『平成27年催行 東海道関宿東追分一之鳥居 お木曳き記念誌』平成28年/東海道関宿東追分鳥居お木曳実行委員会