関宿の町家は、2階正面部分の壁が“真壁(しんかべ)”のものと “大壁(おおかべ)”のものとに分かれます。“真壁”とは柱や梁などの木部を露出した壁のことで、“大壁”とは柱や梁などの木部を壁の中に覆い隠した壁のことです。いわゆる在来木造は“真壁”のものが多く、住宅メーカーの建築などは“大壁”のものが多くなっています。
関宿の町家の“真壁”と“大壁”について順に説明していきます。
まず、“真壁”のものは柱や梁などの木部が見え、町家の構造を正面からも伺い知ることができます。2階の屋根は柱から出された出梁(でばり・だしばり)と、出梁にかけられた出桁(でけた・だしげた)によって軒を深く出しています。この軒は、建物の左右両端から突き出た“袖壁(そでかべ)”でも支えられています。袖壁は“袖うだつ”とも呼ばれ、隣家から火が移ってくるのを防ぐための壁ですが、隣家との境をはっきりさせる意味もあって看板としても使われていました。
こうした深い軒は街道の上まで大きく張り出しており、古い建物の中には2階の軒が1階の庇より前に出ていて、街道に覆いかぶさるようになっていました。現在は街道の通行への配慮から(主に車に対してではありますが)、軒が切り縮められていることが多いようです。
“真壁”とは言いながらも開口部が大きくとられています。この開口部には建具が入りますが、古い時代は障子戸や板戸で、新しくなるにしたがってガラス戸が用いられるようになります。また、この開口の前面に手摺が設けられたり、格子戸がはめ込まれたりするものもあって、2階の外観意匠は実に表情豊かです。
一方、“大壁”のものは、柱は梁などが漆喰壁で覆われ、前面が1枚の大きな壁に仕上がっています。土蔵の壁を思い浮かべていただければいいと思います。
壁の一部は、壁と同様に漆喰で塗り籠められた竪格子が並ぶ“虫籠窓(むしこまど)”になっています。軒の出は小さく、また袖壁はありません。
“大壁”にはあまり装飾的な要素はありませんが、光を反射する漆喰壁は白色だけでなく黄色や黒色のものもあり、また虫籠窓の形にも様々なものがあって、一つひとつが大変目を引きます。
さて、こうした対照的な二つの形式が、関宿のまちなみの中に混在しているのはなぜなのでしょうか。私は、“火事への備え”という共通する目的があったのではないかと考えています。
関宿ではそれぞれの町家は隣家と柱を接して建っています。1軒から出た火は容赦なく隣近所へと移り、運悪く風が強い日ともなると数軒から数十軒へと燃え広がっていきます。こうした火事の火は、火の粉によって飛び火することもありますが、まちなみでは軒を伝って隣家へと広がっていきます。関宿の人々は、軒のある2階前面を防火的に作ることが防火には効果的であると経験的に学んでいたのでしょう。
“真壁”の建物についた袖壁、塗り籠められた“大壁”、いずれもそれなりの効果を発揮していたはずですが、防火効果は“大壁”のほうが大きいと思われます。しかし、“大壁”は作るのに費用も時間も必要で、その上維持管理にも手間がかかります。そんなことから、“真壁”の建物がより多くあるのではないでしょうか。
さて、こうした外観意匠の対照的な二つの種類の建物があることは、関宿のまちなみ景観にも大きな影響を与えています。
“真壁”のものは深い軒によって、街道に大きく壁を落とし、暑い夏などは歩行に快適な日陰を作り出してくれます。また、雨の日でも「軒の下を歩けば濡れない」と言われたほどでした。
一方、“大壁”のものは、軒の出が小さいため冬場でも街道に陽光が差し込み、漆喰壁は日の光を反射して周囲の街道全体を明るくします。大きく開いた空を見ることで開放的な気分も味わえたでしょう。
このように対照的な意匠の町家が並ぶことで、まちなみそのものが変化のあるものになると同時に、街道には季節や天候によって違った趣を作り出して来たのです。関宿のまちなみの面白さのひとつだと思っています。
※この場所に行き、実際に見るためのヒント
●関宿全体を、五感を使いながら、ゆっくりと散策してください。
●季節や天候によっても町の表情は変わります。“いつもの関宿”で“新しい感動”を!!
<参考にさせていただいた本など>
『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌(別冊) 関宿伝統的建造物の前面意匠』平成27年/亀山市