(3)特色のある町家と細部意匠
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<関宿案内編>

“摺り上げ戸”

 関宿の町家の1階開口部は、今ではガラス戸や格子戸がはめられていることが多いのですが、以前は “摺り上げ戸(すりあげど)”と呼ばれる建具が一般的でした。
 摺り上げ戸は、柱に彫られた“戸溝(とみぞ)”に沿って、板戸を上げ下げする形式の建具です。戸を上げて開放すると、3枚ある板戸は開口部の上部の梁(“丁物”という※1)の屋内側に作られた戸袋に収められます。“木製のシャッター”あるいは“上げ下げ式の雨戸”と言えばわかりやすいかもしれません。
 板戸を上げて開放すると、通りに面した部屋であるミセノマは吹きさらしになり、板戸を下ろして閉めると屋内は真っ暗になります。屋内の明暗や風雨による雨露は、3枚の板戸のうち1枚ないし2枚を上げ下げすることで調整できますが、店の機能性と通風採光といった快適性、あるいは夜間の防犯などとの両立が望めず、夏の夜間の暑さ、冬の昼間の寒さは何とも凌ぎ難いところです。そんな建具の特性からか摺り上げ戸は嫌われ、ガラス戸や格子戸へと替わっていったのだと思われます。


閉まった状態 の”摺り上げ戸” (関宿旅籠玉屋歴史資料館)

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>

●関宿旅籠玉屋歴史資料館を目指してください。摺り上げ戸は通りからでも見ることができますが、ぜひ入館料を払って中も見学してください。
●関宿旅籠玉屋歴史資料館では、開館日の朝夕、毎日擦り上げ戸の上げ下げが行われています。入館されるお客様のために上げ下げのデモンストレーションが行われることもあります。このチャンスを狙ってください。
●休館日などの閉館時には締め切られた擦り上げ戸を見ることができます。閉まっているからと言ってがっかりしないでください。こちらのほうがレアですから。
●関宿旅籠玉屋歴史資料館の向かいの町家でも現在でも摺り上げ戸と使われていますが、こちらは個人宅です。ご配慮ください。


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<投稿記事編>

隠れた関宿名物 “摺り上げ戸”

 “摺り上げ戸”は、閉めた時には完全に閉鎖され、開けた時にはミセノマが大きく開放されます。街道を通る人々を相手に商売を行っていた宿場の建物には適した建具だったのかもしれませんが、現代生活には不便も多く、ガラス戸や格子戸に変えられることが多く、現在でもつかわれているのは資料館など限られた建物だけになってきています。

摺り上げ戸が使われなくなったのはいつ頃から?

 では、この摺り上げ戸が使われなくなったのはいつ頃なのでしょうか?
 はっきりとした年代はわかりませんが、明治時代の中頃なのではないかと考えています。その直接的な契機は、明治23年(1890)の関西鉄道(かんせいてつどう)※2の開通による往来する人の激減で、これによって街道に面したミセノマを開放的にする宿場当時の使い方から前面を仕切り屋内の環境を整える使い方へと変化し、この変化に対応して町家の正面建具も変化したと考えているためです。実際、明治時代中頃以降に建築された関宿の町家では、摺り上げ戸が使われていないものが多く、このことを裏付けています。

“摺り上げ戸”の構造

 摺り上げ戸の構造をもう少し詳しく見てみることにします。
 柱につけられた戸溝は柱の芯※3より内側に、開口部上部の梁(丁物)は柱の芯より外側に少しだけずらされています。これは、板戸を柱の戸溝に沿って戸袋のある梁(丁物)の高さまで真っすぐに上げる必要があるからです。
 梁(丁物)の高さまで摺り上げた板戸は、1枚づつ内側にずらせて戸袋に収納します。柱上部と中間の梁(丁物)内側には建具を止められるように加工された小柱が沿わせられています。この小柱に板戸2枚が引っかけられ、最後の1枚(閉まっている時には一番下)は梁の内側に付けられたベロ状の止め具を梁から出して止めます。この止め具が外れると板戸がギロチンのように落ちてくるので要注意です。うっかり足の上にでも落とせば足の甲を骨折することになってしまいます。
 戸袋に板戸が収納された状態では3枚の板戸が並んでいて、戸袋が屋内側にはみ出しています。また、戸袋の上部は2階の床より高くなっているため、戸袋は2階の前面壁を占用し、2階の桁が低い町家では窓をつけることができません。
 摺り上げ戸は開口の間口いっぱいに取り付けられるため、間口にすると2間(3.6m)程度あり、中間には補助柱が付くことが普通なのですが、この補助柱は取り外すことができるようになっています。柱とは言っても“半柱(はんばしら)”ほどの太さで、摺り上げ戸の上げ下げのガイド役となるものです。
 補助柱は動いてがたがたしないように、下部は框に開けられた“ほぞ穴”※4に差し込まれ、上部は梁(丁物)と戸袋小柱との間に横から挿入し、戸袋小柱から梁までの長さがある“栓(せん)”を差し込んで止めます。 板戸が外から開かないようにする錠は、一番上の板戸の内側に板戸から柱まで通す差し込み式の錠(“さる”“猿錠(さるじょう)”という)が仕込まれています。

摺り上げ戸を上げたところ(戸袋に収まった板戸)

 ここでちょっとした疑問が湧いてきます。「こんな頑丈な建具どうやって入れるんだ?」ってことです。横にひく形式の雨戸なら、少し持ち上げれば溝から外すことができるのですが、摺り上げ戸では溝が深く、建具もこの溝いっぱいに入っているため簡単に外すことはできません。
 しかしこの答えは簡単。着脱式の補助柱を外してしまえばよいわけです。

 こうした構造上の特徴から、戸袋が邪魔をして内側にガラス戸などを取り付けることは難しく、逆に柱内にガラス戸を取り付けると擦り上げ戸を上げ下げする意味がなくなってしまいます。擦り上げ戸は、構造的な特性上、また現代生活への対応上も、今となっては保存し、使っていくことが難しい建具なのかもしれません。

開いた状態の“摺り上げ戸” (関宿旅籠玉屋歴史資料館)

今も現役 “旅籠玉屋”の“摺り上げ戸”

 そんな摺り上げ戸を、現在でも本来の姿で使っているところがあります。関宿旅籠玉屋歴史資料館です。
 関宿旅籠玉屋歴史資料館の主屋は慶応元年(1865)に建築された建物で、市の有形文化財(建造物)に指定されています。建築当初から前面は摺り上げ戸だったことが明らかで、平成7~9年(1995~1997)に復原修理工事が行われた折に摺り上げ戸が復原されました。現在は関宿の大旅籠を再現した資料館として公開されており、摺り上げ戸が日常的に使われているわけです。
 「資料館なんだから当然だ」とは言わないでくださいね。受付の皆さんは毎日摺り上げ戸を上げ下げし、夏の暑さ、冬の寒さに耐えながら、時には摺り上げ戸を上げ下げするデモンストレーションまでしていただいているんですから。
 関宿でもあまり見られなくなった“摺り上げ戸”。その摺り上げ戸の本来の姿を見ることができるのは関宿旅籠玉屋歴史資料館しかありません。玉屋の“摺り上げ戸”は、関宿の隠れた名物と言っても過言ではないでしょう。
 お見逃しなく。

入館者に“摺り上げ戸”を説明

<補足説明>

※1 丁物(ちょうもの・ちょうもん) 成(せい)のある梁や差鴨居(さしがもい)のこと。長さが2~3間(3.6m~5.4m)程度。巾は4寸(12㎝)、高さが1尺(30㎝)程度の大きさのもの。
※2 関西鉄道(かんせいてつどう) 明治21年(1888)に三重県四日市市に設立された民間会社で、中京圏と関西圏とをつなぐ鉄道線路を敷設した。明治23年(1890)に四日市~草津が開通し、関駅も開業した。
※3 芯(しん) 心(しん)とも書く。真ん中、中心のこと。
※4 ほぞ穴 木材と木材をつなぐ方法の一つ“ほぞ継ぎ”では、一方の材に“ほぞ”という突起を、もう一方の材には“ほぞ”を差し込む“ほぞ穴”を作り組み合わせる。

<参考にさせていただいた本など>

『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌 -まちを活かし、まちに生きる-』平成27年/亀山市
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌(別冊) 関宿伝統的建造物の前面意匠』平成27年/亀山市

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