伊勢神宮ゲートウェイ “東の追分 一之鳥居”

(4)場所場所の物語
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<関宿案内編>

関宿東の追分 一之鳥居

 関宿の東の入口“東の追分”にあるこの鳥居は、関宿では“一之鳥居”として親しまれているものです。“一之鳥居”というのは伊勢神宮に向かう最初の鳥居という意味なのですが、実際には伊勢神宮の鳥居ではなく、伊勢神宮に向かう人々への“道しるべ”として建てられたものです。
 この鳥居がこの場所に初めて建てられたのは18世紀の初め頃と考えられていますが、当時は伊勢講の人々からの寄進により建てられ、関宿の人々によって管理されていました。
 現在は20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮にあわせて建て替えが行われており、今の鳥居は平成27年6月に建てられたものです。鳥居の用材は式年遷宮で建て替えられた伊勢神宮内宮宇治橋東詰(内側)にある鳥居の旧材で、伊勢神宮から下付を受け、傷んでいる箇所の繕いをした後、住民総出の“お木曳”を経て建てられました。次回の建て替えは平成47年5~6月ころです。

関宿東の追分 “一之鳥居”

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>

●関宿の東の端。南側。
●JR関西本線「関駅」からは、駅を出て国道1号沿いに右(東)に進み、信号のある交差点「東海道関宿東」で左(北)に折れ、坂を上がると突然現れる。徒歩10分程。
●まちなみからは、ただひたすら東に進むと右手に突然現れる。個人的にはこちらのコースがおすすめ。東海道を歩いてきて、いよいよ伊勢に向かうという気分になれる。
●車の通行が多いため、写真撮影などには注意が必要。
●周辺には常夜灯などもあるが、危険なので登ったりする行為は厳禁。


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<投稿記事編>

伊勢神宮ゲートウェイ “東の追分 一之鳥居”

 東追分は東海道から伊勢方面への分岐点です。ここには“一之鳥居”と親しまれている大きな鳥居があり、伊勢参りの人々はこの鳥居をくぐって伊勢神宮へと向かっていきました。伊勢神宮への入口門(ゲートウェイ)ってことなんですね。
 今回は、その鳥居の物語です。

そもそもなぜここに鳥居が・・・?

 この鳥居は、“一之鳥居”と呼ばれています。そもそもどこの神社のものかと言えば伊勢神宮という答えになるのですが、鳥居が立つ東追分から伊勢神宮(外宮)までは15里余(約60㎞)ありますから、正式な伊勢神宮の鳥居というわけではありません。

 いつからあるのかもはっきりとしません。元禄5年(1692)の『関宿家並図』(「元禄図」と呼びます。)には鳥居が描かれておらず、正徳元年(1711)には東追分周辺の整備が行われていますから、この頃に鳥居も建てられたのではないかと考えられています。

 関宿の旧家に残る古文書の中に、嘉永2年(1849)の鳥居建て替えの記録が残っていますが、この記録は関宿の世話人から「阿州玉栄組御世話元」3人に提出された見積書及び清算書であることから、関宿の大店などが世話人となって伊勢に向かう人々(「伊勢講」※1)からの寄進により建てられたものと考えられます。

 また、東追分にはこの鳥居だけではなく道標や常夜灯もありますが、これらも伊勢参りの旅の安全を願って寄進されたものです。

 こうしたことから、“一之鳥居”は東海道から伊勢街道への分岐点にあって、伊勢参りの人々への道しるべになっていたのだろうと考えられます。つまり、伊勢神宮への入口門(ゲートウェイ)としての役割を担っていたわけです。

鳥居の用材は伊勢神宮からの頂き物

 現在立っている鳥居を見ることにしましょう。
 鳥居は建築的には至極シンプルです。木材は2本の柱、貫、笠木の4本しか使われていません。間口は5.8m余、高さは地面から笠木上までで7.7m余あります。柱は、自動車がぶつかって破損するのを防ぐために巻かれた鉄板とともに1.5m程埋め地面に込まれています。長さ9mを超える笠木には、上部に水切用の銅板が張られています。
 全体に材料が新しく感じられるのは、現在の鳥居が建てられたのが平成27年6月だからで、この鳥居は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮と時期を合わせて、建て替えが行われています。そして、その用材は伊勢神宮からの頂き物なのです。

 伊勢神宮では神宮内の社殿等を20年に一度建て替える式年遷宮が行われています。この時、建て替えられた社殿等の旧材は日本全国の神社に下付され、各地の神社の社殿建て替え等に使われます。もともと伊勢神宮の社殿等には超一級の木材が使われており、かつ伊勢神宮の社殿等はどこの神社に比べても大きいため、傷んだ部分を取り除いたとしても十分な大きさがあります。

 関宿東の追分の“一之鳥居”も伊勢神宮から用材の下付を受けて建て替えが行われているのですが、“一之鳥居”には内宮宇治橋の東詰(内側)※2にある鳥居の旧材が下付される慣例となっているため、20年ごとの建て替えが行われているのです。さらに、内宮宇治橋の鳥居は、内宮正殿(伊勢神宮内宮で最も大切な建物)の棟持柱が再利用されているといいますから※3、さらに特別な存在と言えます。
 つまり、関宿東の追分“一之鳥居”は、伊勢神宮内宮正殿の棟持柱として20年、内宮宇治橋東詰の鳥居として20年使われた後、関宿にやってきてさらに20年使われるのです。

 こうしたお話をすると、「すごいリサイクルですね」と言われる方もいらっしゃいます。確かに、材料という意味ではリサイクルなのですが、関宿に暮らす者にとっては“伊勢神宮にあったものを受け継いでいる”、あるいは“昔からの伊勢神宮とのご縁を引き継いでいる”ことこそが大切だと感じます。

 では伊勢神宮から用材の下付を受けての建て替えはいつから始まったのでしょうか。鳥居の建て替えの記録は断片的にしか残っていませんが、昭和5年(1930)の建て替えが最初だと考えて間違いありません※4。その後は、昭和30年(1955)、昭和50年(1975)、平成7年(1995)、平成27年(2015)※5と、伊勢神宮の式年遷宮の翌々年に建て替えが行われることが恒例になっています。

 こうなると、関宿で20年の役目を終えた“一之鳥居”がどうなるのかに興味がわいてきますが、平成7年の建て替え以降、兵庫県神戸市にある生田神社へ渡され、さらに20年使われることになっています。阪神淡路大震災の復興に協力したことが縁で、これも恒例になりつつあります。
 伊勢神宮にお参りされた折には、ぜひ内宮宇治橋東詰にある鳥居をご覧ください。その鳥居が何年後かには関宿にやってくる鳥居なんです。そして、神戸生田神社では何年か前まで関宿にあった鳥居をぜひご覧ください。

 関宿東の追分 “一之鳥居”は、東海道から伊勢神宮へのゲートウェイなのですが、関宿の過去、現在、未来をつなぐゲートウェイでもあるのです。

<補足説明>

※1伊勢講 伊勢参りを目的とする講。講員は費用の積み立てを行ったうえで代表者が参詣する代参(だいさん)を行った。嘉永2年には伊勢神宮式年遷宮が行われており、これと時期を合わせた寄進であったと考えられる。
※2 宇治橋西詰(外側)の鳥居は桑名の七里の渡しの鳥居に使われる。宇治橋西詰の鳥居は、宇治橋の鳥居となる以前は下宮正殿の棟持柱であったとされている。
※3 2本の棟持柱が鳥居の柱に使われ、貫、笠木は新たな木材で作られているようだ。
※4 平成27年の鳥居建て替えは、「関宿重伝建選定30周年記念事業」として行われた。
※5 嘉永2年の建て替えでは材料は新しいものが用意されている。明治元年(1868)には明治天皇の御東幸にあわせて鳥居の建て替えが行われているが、亀山藩主石川家が建設費を負担し、木材は加太村の山林から切り出された。

<参考にさせていただいた本など>

『鈴鹿関町史 上巻』昭和52年/関町教育委員会
『鈴鹿関町史 下巻』昭和59年/関町教育委員会
『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌 -まちを活かし、まちに生きる-』平成27年/亀山市
『平成27年催行 東海道関宿東追分一之鳥居 お木曳き記念誌』平成28年/東海道関宿東追分鳥居お木曳実行委員会
「亀山市史」(IT市史)/亀山市歴史博物


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