
<関宿案内>
大名行列をお出迎え “御馳走場”
東海道と関神社参道入口の角にある小さな広場は“御馳走場”と呼ばれています。
普段“ご馳走”というと、“ぜいたくな料理”といった意味ですが、ここで料理が作られたり、人々に料理が提供されたりしたわけではありません。
“馳走”の二文字は本来“走りまわる”の意味で、これが“もてなす”“世話をみる”の意に転じたそうで、関宿の“御馳走場”も大名行列を宿役人が出迎えたり見送ったりする場所だったそうです。
大名行列は“御馳走場”で出迎えを受けると隊列を整え、「下に、下に」の掛け声に合わせて宿泊する本陣まで整然と行列した。ということなのです。
関宿の“御馳走場”は、この関神社参道入口の他に、西追分、関地蔵院にもありました。大名行列を迎えるために駆けつけてくる宿役人の姿が目に浮かんでくるようです。
※下に「深読みコラム」があります。

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>
●関宿を東(江戸方向)に向かってください。中町と木崎の境あたり。
●関神社参道の入口東側の角。
●ひっそりと案内の石柱が立っています。
●車がよく曲がる場所です。各方向からの車にお気を付けください。
<深読みコラム>
関宿で初めて知った“御馳走場”
“御馳走”の意味
関神社参道入口の小さな広場が“御馳走場”と言われても、そのゴージャスな語感とはマッチしません。そんなアンバランスが“御馳走場の面白さなんでしょう。そこで、“御馳走”の本来の意味を調べることから始めたいと思います。
“御馳走”は「贅沢な料理」の意味で使われることが多いのですが、字を見ると「馳」は馬や車を早く走らせるの意。そして、「走」ももちろん走る(こちらは人が中心)の意ですから、この二文字がくっついて、「馬や車、人が駆け回る」というのが本来の意味なのでしょう。
これが、「人をもてなすため」「人の面倒を見るため」「おいしい料理の材料を整えるため」といった「人はなんのために駆け回るのか?」というところから、「贅沢な料理」や「もてなし」という意味に転じたという訳です。これは素直に納得できます。
つまりは、息を切らせて駆け付けてきて出迎える。あるいはお見送りする。このこと自体が“馳走”で、決してここで料理をもてなしたりはしない。ということなんですね。
関宿で初めて知った“御馳走場”
私は関宿で初めて“御馳走場”というものを知りました。それまで東海道や他の街道の宿場でも聞いたことがありませんでした。名前を聞いたことがなかったのは、地元の人たちだけが使っていたからなのではないかと思うのです。これは私が“物を知らないため”だけなのかもしれませんが・・・。
“御馳走”の意味を考えていてもう一つ気が付いたことがありました。“馳走”はもてなしを“する”側の言葉であって、“される”側の言葉ではないということです。“御馳走場”とはいかにも大そうな名前ですが、宿役人が(身分的に上位である)大名に対してすることだから、丁寧に「御」の字が付けられた訳で、大名がする“馳走”にありがたく“御”をつけた訳ではないのです。
“御馳走場”は合言葉
大名行列は宿にとってはありがたいお客さんでした。数十人、数百人が一度に宿泊するのですから。大名が宿泊する本陣では、大名行列の担当者に手紙や付け届けを送って宿泊を促したくらいです。本陣を含む宿役人が大名行列を迎え入れるのも当然のことです。
そして、宿に暮らす庶民、たまたま居合わせた旅人にとっても大名行列の通行は一大事です。大名行列が来ると、旅人や宿の人たちはすべての仕事を中断し、身なりを整えて迎えなければならないからです。また、大名行列の一行が宿泊するとなれば、宿はいっぱいになり、食事などの準備も大変になります。突然大名行列が現れて準備ができず“無礼打ち”なんてことにでもなれば目も当てられません。そんな不都合は御免こうむりたいというわけで、宿役人は大名行列の到着予定を触れて回ったはずです。そうでなくても、あわただしい宿役人の様子を見ただけで「ああ大名行列が来るんだな」ぐらいのことは察することができたでしょう。
余計ないざこざを避けたいのは大名行列の方も同じ。宿役人の出迎えを受けると「下に、下に。」の掛け声で周囲に知らせながら、宿の準備が整うまでゆっくりと本陣まで進んでいくのです。
関宿には4カ所の“御馳走場”が
さて、関宿には4カ所の“御馳走場”があったとされています。“御馳走場”の運用方法を考えると、“迎える場所”と“見送る場所”の最低2カ所は必要だったはずです。そして、大名行列が重なることを考えると(実際関宿には本陣が2軒ありましたからそんなことも多かったはずです)、時間調整など(特に大名行列が交差することはあってはならなかったでしょうから)のために2セットあることが望ましかったでしょう。
4カ所のうち3カ所は“西追分”、“地蔵院”、“関神社参道入口”で、場所がはっきりとわかっています。もう1カ所はわかっていませんが、私はそのもう1カ所は“東追分”だったのではないかと考えています。
西追分、地蔵院、関神社参道入口の3カ所が、いずれも宿の入口や町と町との境あたりにあるからです。そして、東追分には一里塚や見付土居などがあって、伊勢神宮を遥拝する場所でもありましたから、大名行列を迎え、見送るためにはもっとも適した場所のように思えます。これを確認するため、もう少し様々な史資料をあたってみる必要があるかもしれません。
<参考にさせていただいた本など>
『鈴鹿関町史 上巻』昭和52年/関町教育委員会
『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町