「土間は東、座敷は西」は暗黙の了解

(3)特色のある町家と細部意匠
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<まちなみ案内>

関宿の町家の間取(まどり)

 関宿の町家は、間口が狭く奥行のある「ウナギの寝床」とも呼ばれるような敷地に、街道に面して間口いっぱいに建てられています。敷地間口は2間半(約4.5メートル)から3間(約5.4メートル)程が最も多く、大きなものではこの1.5倍から2倍ほどのものもあります。

 間取は正面から見ると東側に街道から裏庭まで通じる「通り土間(とおりどま)」があり、これと平行に西側に居室を奥行方向に3室から4室並べています。このことから、建物の奥行は6間(約10.8メートル)から7間(約12.6メートル)ほどになります。間口が大きな町家では居室が2列並び、居室の数が多くなります。また、通り土間の下手に「シモミセ」と呼ばれる部屋が付く場合もあります。

 通り土間は正面では町家の入口(玄関)としての役割を持ちますが、奥に進むとかまど、井戸、流しなどが設けられて「カッテ」(炊事場)になっています。

 居室は街道に面した前面から「ミセ」「ナカノマ」「ザシキ」と呼ばれています。「ミセ」は街道に面した板の間で、商品を並べたり旅籠屋では宿泊客の荷物を並べたりしました。「ナカノマ」は一列に並ぶ居室の中央にあって外には面していません。仏壇が置かれることが多いようです。「ザシキ」は縁廊下を介して「中庭」に面しており、主人の寝室や客間として使われていました。

 2階は「厨子二階(つしにかい)」と呼ばる天井の低い部屋が「ミセ」の上にありますが、物置や使用人の寝泊まりなどに使用される程度でした。しかし、旅籠屋などでは二階の天井を高くとり、客が泊まる部屋として整えているものもあります。

 それぞれの町家の部屋数は決して多くはありませんが、屋敷内には風呂や便所がある「角屋(つのや)」、隠居屋などとして使われる「離れ」、家財や商品を収納した「土蔵(どぞう)」、その他の道具類・農機具などを収納した「納屋(なや)」や「物置(ものおき)」などの付属屋が建てられ、それぞれ用途に合わせて使われていました。

※下に「深読みコラム」が続きます。

「関まちなみ資料館」の通り土間。左手に居室が2列に並んでいる。上には物置として使われている「つし2階」が見える。

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>

●関宿の家々のほとんどは現在での生活の場として使われています。建物の中を見ることができるのは、一部の公開されている建物のみです。ご配慮をお願いいたします。
●内部を見ることができる公開施設は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」、「関まちなみ資料館」、「旧落合家住宅」、「旧田中家住宅」、「西追分休憩施設」、「木崎いっぷく亭」などがあります。「関宿旅籠玉屋歴史資料館」、「関町並み資料館」は有料で公開されている資料館です。また、「西追分休憩施設」、「木崎いっぷく亭」は無料の休憩施設です。


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<深読みコラム>

「土間は東、座敷は西」は暗黙の了解

どこにでもあった。しかし、今ではとても貴重な存在。

 城下町や宿場町など多くの人々が密集して暮らす都市的な集落にある住宅を「町家(ちょうか・まちや)」といいます。町家は間口が狭く、奥行のある「ウナギの寝床」と表現される細長い形状の敷地に建てられており、屋敷の間口はほぼ均等であることから、町家の間取もよく似ています。関宿の町家の間取は、片側に通り土間を通し、この通り土間に面して一列ないしは二列に居室を並べる、「通り土間一列型」あるいは「通り土間二列型」と呼ばれるものですが、日本の町家の典型的な間取といえます。
 また、町家は町場にあって多くが町人(商人や職人)の住まいであったため、店舗を併設する住居であることも特徴のひとつです。関宿では、今でも街道に面した前面の部屋を「ミセ」と呼んでいますが、これはその名残といえるかもしれません。

 関宿の町家のような間取は、以前は日本中どこにでもあったもので、決して特別なものではありませんが、今でもこれだけ多くの町家がまとまって残っていることは稀有なことで、一つの町で町家の見比べができる貴重な存在です。

「土間は東、座敷は西」

 さて、どこにでもある間取とは言いましたが、関宿の町家の間取で関宿特有なのではと思えることがあります。それは、建物の中で通り土間は東側に、座敷は西側に配置されるということです。このことは、町家が街道の南側にあるか北側にあるかに関わらず、関宿の町家に共通しています。
 このことがどのような理由によるのかは今ではわかりませんし、法律などで決められていた形跡もありません。おそらく自然にそうなっていったのでしょう。しかし、多くの人々た密集して暮らしていた関宿では、こうした自然に生まれたようなきまりの中に、多くの人々の暮らしやすさに影響する要素が含まれているように感じます。

 関宿の町家は敷地間口いっぱいに隣と接して建てられています。隣家とは壁一枚(正確には2枚)隔てているだけで、隣の声や物音がよく伝わってきます。座敷で寝坊をしていると西隣の通り土間で行われている朝ごはんの準備の喧騒が伝わってきます。逆に、座敷での夫婦喧嘩は西隣の通り土間によく伝わります。これは町家の建ち方からしてどうすることもできません。
 一方で、町に暮らす人々の生活のリズムはよく似ています。ほぼ同じ頃に起き、食事をし、商売をし、団らんがあり、就寝します。食事の準備は通り土間。団らんや就寝は座敷といった具合に家の中での使われる場所は決まっていますから、同じリズムで暮らしていれば、互いの暮らしが干渉しあうことは最小限でおさめられたのではないでしょうか。

 このことがなんの役に立ったのかと問われると答えに窮しますが、例えば互いの秘密が守られたり、近隣同士での争いごとが未然に防げたり・・・。そんな他愛もないことだったかもしれません。

“まちなみ”や“町家”から学ぶ暮らしの知恵

 私の勝手な想像は差し置くとしても、明文化された決まりがない中でこうした共通点が生み出され、維持されてきたことには驚きます。どこかで「我が家だけは」と考える人が出そうなもんです。

 そんな時にふと思いついたのが「ならう」という言葉でした。「ならう」には「習う」「倣う」「慣らう」「馴らう」など、いくつかの漢字があてられていますが、どれもこの疑問にぴったりな言葉に思えます。
 今のように様々な情報がすぐに手に入る時代ではありませんでしたから、建物のことを詳しく知る機会はなかったと思われます。関に暮らした人々は小さい頃から「家とはこういうものだ」と誰かから「習い」、わからないところは周囲の建物に「倣い」、そうした中で暮らすことに「慣れ」「馴らされた」のではないか。これこそが、暮らしの中で生まれた知恵の伝わり方なのではないかと。

 古い“まちなみ”や“町家”には、そこに暮らす人々によって生まれた様々な暮らしの知恵が“形あるモノ”となって伝えられています。情報があふれかえる今だからこそ、“まちなみ”や“町家”に謙虚に向き合い、ひとつひとつの知恵を “形あるモノ”から 読み取っていくことが必要だと感じます。

<参考にさせていただいた本など>

『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町

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