<関宿案内編>
関宿 “西の追分”
東海道五十三次関宿の西端に“西の追分(にしのおいわけ)”があります。関宿には追分と呼ばれる場所が2か所あり、もう一つは宿の東端にある「東の追分(ひがしのおいわけ)」です。
“追分”とは、道が二つに分岐する場所のことで、東追分では東海道と伊勢別街道が、西追分では東海道と加太越奈良道(かぶとごえならみち)がそれぞれ分岐しています。
東海道は西追分を抜けると坂下宿(さかしたじゅく)へ向けて西北に進み、鈴鹿峠(すずかとうげ)を越えて近江国(滋賀県)に至ります。
「加太越え奈良道」とは“加太峠を越えて奈良方面に向かう街道”の意味で、西追分から西に進み、加太宿、加太峠(亀山市加太)を越え、伊賀地方(三重県伊賀市)を経て大和国(奈良県)に至ります。
分岐点に大きな石碑が立っています。 この石碑は、元禄4年(1691)に谷口長右衛門が建立した題目塔と呼ばれるものですが、 「ひだりハいが やまとみち」と刻まれており、道標ともなっていました。
※この場所に行き、実際に見るためのヒント
●関宿の西の端にある。
●国道1号から入るできる駐車場がある。
●休憩施設・トイレ(身障者用含む)がる。
<投稿記事編>
関宿の西のおさえ 西の追分
西の追分の題目塔
西追分の街道の分岐点には、「南無妙法蓮華経」と刻まれた高さ2m余の石碑があります。この石碑は、元禄4年(1691)に谷口長右衛門が建立した題目塔です。谷口長右衛門(谷口法悦)は京都の熱心な法華経信者で、一族とともに街道の各所に100基以上もの題目塔を建てたとされています。
ちなみに、亀山市内では西追分を含めて3か所にあります。題目塔はそもそもが供養塔であることや、宿場の外れや追分などに建てられたという立地から、刑場跡を示すものとの誤解があるようですが、少なくとも西追分は刑場跡ではありません。
むしろ、「ひだりハいが やまとみち」と刻まれていて、道標として旅人の安全を見守り続けているのです。
二つの追分に挟まれた宿場
全国には“追分”の名の付く場所が数々あります。長野県北佐久郡軽井沢町にある追分宿は中山道と北国街道の分岐点で、そのまま宿の名になっていて有名どころでしょうか。
三重県では四日市市にある「日永追分」が、東海道と伊勢街道の分岐点として伊勢参りの人々の道しるべとして知られていました。
関宿の二つの追分は、これら有名どころに比べるとちょっと陰に隠れた存在ではあるのですが、「東追分・西追分」として昭和57年(1982)4月27日、三重県史跡(文化財)に指定されています。
そして、この二つの追分に挟まれた、東西約1.8キロメートル、約25ヘクタールが伝統的建造物群保存地区に指定されました。
昭和57年といえば、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される直前で、関宿を交通史上の重要な遺跡として国の文化財にするにあたり、宿場の両端(両出入口)をおさえるという意味があったのではないかと思われます。これによって、往時の宿場の範囲約1.8キロメートルすべてが保存されることになったわけで、三重県の名アシストといえるかもしれません。