土蔵を書斎や寝室として使うことは、町家を手に入れる前からの夢だった。都合よく土蔵がある町家を手に入れた以上、この夢を実現しない手はない。
「あなただけ書斎なんて贅沢!!」「土蔵なんかに寝られるわけないじゃない。」との妻の叱責を無理やり押し切って、修理費用の一部を土蔵に投入した。
修理工事では、建物のゆがみを補正し、虫に食われていた構造材の一部を補強し、落ちていた床を張り直し、小さな窓を2つばかり新たに取り付けた。
そして、修理を終えると早速に今まで使っていたスチール書棚を持ち込んで本を並べ、以前土蔵で使われていた棚を机代わりに組み立ててパソコンと音響機器を並べた。
かくして、土蔵の書斎は完成したのだ。
妻は私の念願を“子どもの遊び”と称していたし、物置だった土蔵に寝ること自体に抵抗感を持っていたので、主屋の座敷を夫婦の寝室とし、都合よく土蔵は私ひとりの城になった。
土蔵の中は暗かったが、その暗さが書斎にはうってつけだったし、他の建物に比べれば気密性も高いため、中で流す音楽が周囲に迷惑をかける心配もない。極めて快適な書斎生活を送ることができるようになった。
私の快適な土蔵での書斎生活に妻が気づいたのはほどなくしてからだった。
主屋の座敷の寝室は、「朝方の車の通行がうるさい。」、「隙間風が寒く、建具ががたがたと音を立てる。」と文句百出である。
そのうち「土蔵で寝てみようか」と、妻の方から言い出した。
「それ見ろ。俺の言った通りだろう。土蔵は寝室にも向いているんだよ。」と、この段階では私も得意げだったのだが・・・。
なれたら慣れたで、土蔵は妻にとっても極めて快適である。
土蔵の入口には3枚の戸がはめられている。一番外にあるのは火事の時に閉める漆喰戸。真ん中にあるのは普段の開け閉めに使う板戸。最も内側にあるのは上半分が金網になっていて障子がはめられる網入戸である。
この網入戸を閉めるだけで、土蔵の中は静かだし、夏は涼しくて冬は暖かい。妻は、私が仕事で家を空けている隙に、自分の本やCDを持ち込み、自分用の机を置き、と既成事実を積み上げていき、逆に私はだんだんと書斎としては使いづらくなっていった。
そしたら今度は、私のいびきがうるさいと言い出した。
お互いにゆっくり寝られないのでは仕事に差し障る。たまに朝早く一人仕事に出る私のことも考えて、私だけが元の座敷に寝ることになった。
結果的には、私だけが土蔵から放り出されたのだ。
気が付いてみれば、置いておいた私の本の前には、妻の本が並んでいる始末だ。
今や、私が土蔵に入るのは、土蔵2階に置かれた古い荷物を出す時と、妻の本の陰に隠れた古い本を探す時くらいだ。
かくして、土蔵は完全に妻だけの書斎兼寝室となった。夫婦の間で起こった“土蔵の攻防戦”は、妻の完全勝利で終わったのである。