関宿暮らしのはじまり

”関宿”まちなみ暮らし
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 東海道は日本の東西を結ぶ幹線道路。

 江戸時代には、江戸(東京)と京(京都)とを結び500キロメートルほどの長さがあり、この間に旅人が休んだり泊まったりする宿場が53あったことから、「東海道五十三次」と呼ばれていた。

 「関宿(せきじゅく)」も東海道五十三次の宿場のひとつ。53分の1の存在なのですが、今でも江戸時代の宿場の姿を見ることができるのはここだけ。そういう意味ではオンリーワンなんです。

関宿 地蔵町のまちなみ

 私が初めて関宿に来たのは昭和59年(1984)のこと。

 隣町にあった大学の先輩の実家に遊びに来た時、何も知らずに連れてこられた。ちょうど「関宿」が国の文化財(重要伝統的建造物群保存地区)になった時。確かに古い建物が並ぶ姿にはびっくりしたものの、どこにでもあるような静かな田舎町だった。

 そして、平成7年(1995)9月。ひょんなことから三重県で仕事をすることになった。静かな田舎町だった関宿が、“東海道の宿場の往時の姿を今に伝える唯一の町”になっていた。「10年でこんなに変わるものなのか」と、正直おどろいた。

 そして平成13年(2001)6月、関宿に暮らすことになった。                                         

 運よく、古いまちなみの中の築100年こえる町家(古民家)のオーナーになれたのだ。

 あれから18年。

 いろんなことはあったけど、古いまちなみでの町家暮らしが続いている。

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