我が家の土蔵を修理している時、現場の大工さんから急な電話があった。土蔵の床を外していると、土蔵の外壁(土壁)と内壁(板壁)との間から大量の砂が落ちてきたというのだ。
昔、お城の建物では、これと同じように外壁と内壁の間に砂を入れていたと聞いたことがあった。“我が家のような商家の土蔵でそんなことするの?”と半信半疑で急いで見に帰ることにした。
お城のそれは、敵に攻められた時、火矢によって炎が屋内に入らないようにするための工夫らしく、世の中がまだ不安定だった江戸時代の初めころに建てられた櫓などにしか使われなかった工法らしい。
我が家のような町家の土蔵では、他の人に攻められるなんてことはないはずだから、防火の意味で頑丈に造ったのかとその時には思った。
そんな時、土蔵の入口の丸みのある漆喰壁の両側、ちょうど石段と交わる位置に、斜めに板を差し込めるように加工された木材が埋め込まれていることに気が付いた。
さらに、土蔵から運び出した大量の棚板などの中に、ここにぴったりとはまる羽目板があることを発見し、そこで納得した。
「“ネズミ返し”だ」と。
“ネズミ返し”は、穀物などをネズミの被害から守るために、貯蔵する倉庫などに取り付けるネズミ侵入防止用の器具だ。高床式倉庫(たぶん弥生時代)の柱や階段などにオーバーハング状に取り付けられているのを、日本史の教科書で見たことがある。
そういえば、一般公開されている古い屋敷での土蔵の入口に、板を斜めになるように置いてあるのを見たことがある。たぶんあれも“ネズミ返し”だ。
我が家の“ネズミ返し”は、隙間ができないようはめ込み式で、石段と密着するように羽目板の下端は斜めに切られている。丁寧なつくりと言っていい。
“してやったり”といった感じだ。
だとすると、壁の隙間から出てきた大量の砂も“ネズミ返し”の一部じゃないですか。ネズミがかじって土壁に穴をあけたとしても、そこから先はかじってもひっかいても砂が出てくるばかりで、決して中に入ることはできない。
壁全体が“ネズミ返し”になっているわけだ。
我が家は、建てられた当時(おそらく明治時代の初めくらい)は呉服屋だったと聞いている。土蔵の中の木材は穀倉とは違ってやけにきれいで、作りつけられていた棚板もそんなに重いものが乗せられるようにはなっていなかった。
我が家の土蔵は穀物蔵ではなく商品蔵で、中に収めた呉服や反物をネズミにかじられないよう工夫したんだろうと理解した。
敵は案外、小さな生き物だったのだ。
さて、我が家の“ネズミ返し”がどうなったかというと、壁の間に砂を元通り入れ直し“ネズミ返し”の機能を復活させることは断念した。その代わりといっては何だが、土蔵入口の“ネズミ返し”は、羽目板まで含めて一式で保存することにした。