古いまちなみにある町家は、間口が狭くて奥行が深く“鰻の寝床”などとも言われる。このような敷地に、前面道路に面した主屋だけでなく、離れ座敷や土蔵、納屋などが所狭しと配置されているのだから、空いている場所はあまりない。建蔽率は案外高いのである。
こんな具合に建て込んでいる町家の中で、特に居住性の良し悪しに影響を与えているのが“中庭”だといわれている。中庭があることによって居室への採光や通風が確保されているからだ。
そんな中庭であるが、実際の生活において貢献度にみあった扱いがされているかというとそうでもない。
まず、庭の手入れは大変だ。庭木・庭石・飛石・手水と様々な要素があって、素人では扱ってはいけないような印象がある。かと言ってこれらをプロの庭師さんにお願いしたのでは毎年結構な費用がかかることになる。特に庭木の成長は早く、手入れを躊躇しているうちに手が付けられないほどにまで大きくなってしまうのである。
庭木の手入れを躊躇する理由がもう一つある。中庭の位置が厄介なのだ。周りを主屋や土蔵、離れ座敷、隣家との境になる塀などに囲まれていて、剪定が難しいばかりでなく、剪定はできたとしても落とした枝葉の運び出しに剪定以上の労力を必要とするのだ。こんな理由から、特に空家や借家では、中庭に手が入らぬまま荒れ放題になってしまうのである。
我が家の中庭も、購入した当時は庭木が大きく伸び放題であった。地面は落葉をため込んで全体が腐葉土で覆われたようになっていて、庭石さえ見えないありさまだ。特に、中庭の真ん中にあった杉の木は、周りの庭木と競争するように高くそびえたち、庭全体に影を落としていた。まるで、荒山に踏み込んだようで、不気味でさえあった。加えて、落葉が周りの雨樋などに詰まって雨漏りの原因にさえなっていて、これでは、居住性などとは言ってもおられないのである。
そこで、改修工事の折に、思いっきりよく数本の庭木を切り縮め、他の庭木より高くなっていた杉の木は伐採することにした。
結果はといえば、建物を悪くする原因のひとつであった雨仕舞が良くなり、屋内の湿っぽさもかなり改善された。中庭全体に日が差し込むことで屋内が明るい雰囲気となった。庭石や飛石が表れ、庭自体も美しく感じられた。
決断は功を奏したのだ。
“中庭”にいると、主屋、土蔵、廊下、塀などに囲まれて、外から覗かれることはない。街道の喧騒(車の通る音や人の声)も届いては来ない。
公の場からは隔絶された、実にプライベートな空間で、年2~3回の庭仕事さえ怠らなければ、自分たちだけで独占できる快適な“プライベート・ガーデン”なのだ。
そんな快適な“プライベート・ガーデン”でも、ひとつだけ注意しなければならないことがある。空間としては外界から隔絶されていても、塀の向こうはすぐ隣家である。
建物と塀に囲まれているせいか、中庭自体がスピーカーのようになって、ひそひそ話でも実に声がよく伝わるのだ。内緒話や他人の噂話の場としてはふさわしくない。プライベート・ガーデンと言えども、油断は禁物なのである。