東海道“関宿”を見渡す。“百六里庭”と“眺関亭”

(4)場所場所の物語
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<まちなみ案内>

東海道“関宿”を見渡す。“百六里庭”と“眺関亭”

 まちなみを歩いていると、中町の南側に“眺関亭(ちょうかんてい)”の看板が付けられた建物があります。建物にはもう一つ“百六里庭(ひゃくろくりてい)”の看板もかかっています。少し混乱するかもしれませんが、“百六里庭”が建物の奥にある小公園(ポケットパーク)の名前で、“眺関亭”が街道に面してある建物の名前です。

“百六里庭”は小公園。“眺関亭”は建物。

 ここは、平成10年(1998)、当時空地であったこの場所に、近隣にお住いの方々や小中学生などが集まったワークショップにより提案された計画案に基づいて整備された小公園です。そして、小公園と建物の名前も町民からの提案により決定されました。

 公園の名前“百六里庭”は、関宿が江戸から106里(400キロメートル余)の位置にある事に由来しています。建物の入口には「日本橋 関宿からは 百六里」と書かれた「関宿かるた」の木札がかけられています。また、“眺関亭”の名前はこの建物から関宿のまちなみを眺めることができることからつけられたものです。建物の中にある階段から上に上がると屋根の一部が取り除かれていて展望台のようになっています。

 展望台に上がると、正面には瓦屋根越しに観音山や関富士といった近隣の山々の緑を(ちょっと電柱が邪魔に思えるかもしれません)、東を見ると軒の並ぶ関宿のまちなみを、西を見ると瓦屋根の間に通る東海道とその突き当りにある地蔵院本堂の大屋根を望むことができます。展望台から西を見た様子は、関宿の成り立ちが現れた関宿の最も特徴的な景観です。
【※関連記事:「関宿のはじまりが景観に」

 東海道の起点日本橋から遠く離れたこの場所で、東海道の今をゆっくりと眺めてみてください。

※深読みコラムが下に続きます。

眺関亭からの眺望

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>

●関宿の中心部。中町の南側。
●展望台から西を見た景観は、関宿随一のビュー・ポイント。
●東側のまちなみを撮影するときには、自撮り棒を使うなんて奥の手もあります。
●展望台から屋根の上に上がることは絶対にしないでください。
●向かいにある「関まちなみ文化センター」裏にトイレがあります。


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<深読みコラム>

素晴らしい景観は住民の想いの表れ

 “百六里庭”と“眺関亭”の整備は、関宿のまちなみ保存のひとつの転機となったものです。この小公園(ポケットパーク)整備の意義を、整備から20年以上を経過した今、改めて考えてみました。

住民参加のワークショップで計画された公園

 関宿のまちなみ保存は、保存が始まった当初は行政主導型といわれていました。保存に関わる住民団体としては「関町まちなみ保存会」がありましたが、活動はあまり活発ではなく、その再生にむけた取り組みが平成9年から月例学習会の開催として始められたところでした。

 そうした折に降って沸いたような公園計画でした。住民主導型への脱皮は関宿のまちなみ保存の大きな課題でもあったため、当時“まちづくり”の新しい手法として広がりつつあった住民参加型ワークショップの手法が取り入れられることになりました。

 実際のワークショップは三重大学工学部建築学科の協力を得て行われました。ワークショップでは、
・小公園の機能の共有。
・整備アイデアの絞り出しと議論による取捨選択。
・役場職員、専門技術者等による具体的な整備案の作成
・ワークショップ参加者による整備案の確認。
などの手順を経て計画案がまとめられ、計画案に基づいた小公園の整備が実現しました。また、こうした住民参加を引き継ぐものとして完成した小公園の名称も公募が行われ、町民から出された案が採用されました。

 こうした住民参加の取り組みは、関宿における街路灯のデザイン決定、道の駅「関宿」の計画立案、道の駅「関宿」駐車スペース改良などその後も断続的行われ、いずれも住民からの提案に基づいた形でそれぞれ完成しています。
【※関連記事:「屋号を記した看板代わりの“袖壁”」

 “百六里庭”及び“眺関亭”は、関宿のまちなみ保存が、行政主導から住民主導へと変化していく大きなきっかけになったと言えるでしょう。

空地の解消と、防火帯としての役割を持つ

 当時空き地であったこの場所を小公園として整備するにあたり、小公園の基本機能として考えられたことは、次の2点でした。
・古い建物が連続しているまちなみで、防火帯としての役割を担うこと。
・虫食い状にある空地を解消し、まちなみの連続性を再現すること。
これらを実現するため、小公園として空地を確保するとともに、公園の両側の塀は耐火機能を持たせるためコンクリートパネルを使用したうえで、小公園の内側には木材が用いられました。そして、街道に面した箇所にはまちなみ景観に配慮した、コンクリートパネルと木造により建物が建てられました。

 ワークショップでは、防火帯であることを象徴するように“火の見櫓”が欲しいとの声がありましたが、関宿にあった“火の見櫓”の具体的姿がわかっていなかったことや、櫓では多くの方に上ってもらうことができないことなどから、屋根の一部を取り除いて展望台とする現在の形が考え出されました。
 もちろんこうしたアイデアもワークショップの中から生みだされたもので、住民参加によるワークショップによって、二つの基本的な機能が果たされたと言えるでしょう。

百六里庭

関宿のまちなみの特徴を違った視点で見ることができる

 さて、“眺関亭”の最大の特徴は、屋根の一部に設けられた展望台から、関宿のまちなみを見ることができることです。街道の正面に、鈴鹿の山々を背景とした地蔵院の大屋根が見えるこの景観は、関宿の成り立ちが現れた関宿の最も大切な景観のひとつと言えるでしょう。
【※関連記事「関宿のはじまりが景観に」】

 また、東側のまちなみも見ることができるのは、まちなみがちょうどこの場所で折れ曲がっているためで、地の利をうまく利用したアイデアでもありました。

 いずれにしろ、まちなみを歩いているだけでは決して見ることができない景観をこの場所からは見ることができるのです。そして、新たな視点場の登場は、まちなみ景観の改善すべき点をいくつか明らかにすることにつながりました。

 現在、「亀山市景観計画」(平成23年6月)では、この眺関亭の展望台を視点場とした西向きの地区を「百六里庭-関宿眺望景観重点地区」として位置づけ、地蔵院の本堂より高い建物が建てられないよう建物の高さを15メートル以下にすることや、建物の色彩は「歴史的な町並みに調和した落ち着いた色彩を用いる」ことなどが基準として定められています※1。

 特に、関宿の中の景観だけでなく、その背後にある鈴鹿の山々の眺望の大切さに気付かされたことは、この小公園整備の大きな意義のひとつと言えるのではないでしょうか。

まとめ

 “百六里庭”と“眺関亭”の整備で行われた住民参加型ワークショップの経緯は、整備後20年以上を経過して徐々に忘れられ、当時参加した人々の心の中にのみしまわれつつあります。しかし、出来上がった小公園が、関宿とその周辺をも含めた景観づくりに視点場としての役割を与えられ、現在もその役割を担っていることにより、わずかにその命脈を保っています。

 しかし、関宿の最も特徴的なこの景観が、この景観を大切に思う住民の心を出発点として守られてきたという事実に変わりようはありません。そして、この景観が守られている限り、関宿を大切に考える私たちの想いも決して失われることはありません。

<補足説明>

※1 関宿伝統的建造物群保存地区の歴史的な景観は、亀山市伝統的建造物群保存地区保存条例に基づきその保護が図られています。また、関宿伝統的建造物群保存地区の周辺は「亀山市景観計画」に基づく「関宿周辺景観形成推進地区」として、関宿と調和した景観の形成が図られています。

<参考にさせていただいた本など>

『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
『東海道五十三次関宿 重伝建選定30周年記念誌 -まちを活かし、まちに生きる-』平成27年/亀山市
『亀山市景観計画』平成23年/亀山市(建設部まちづくり計画室)

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