旅籠の店先は厳しいビジネスの場

(4)場所場所の物語
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<まちなみ案内>

旅籠玉屋の“講札”

 旅籠玉屋(「関宿旅籠玉屋歴史資料館」)の店先、西側の壁に3枚の板が掲げられています。これらには、「日の丸組(京都)」「一万人組(摂丹)」「灯籠講(大阪)」と書かれてあって、“講札”であることがわかります。

 “講札”は伊勢参りなどの講の指定宿(“定宿(じょうしゅく)”)であることを示すもので、旅籠にとっては店先に掲げる“講札”が多ければ多いほど、安心して泊まれる宿であることを旅人に示すことができ、店先の目立つところに掲げていたのです。

 資料館に入館した時に渡される入館券には、歌川広重が関宿の旅籠を描いた「旅籠屋見世之図」という浮世絵が印刷されています。この浮世絵を見ても、旅籠の店先に“講札”が数枚並び掲げられています。

 玉屋に残っている“講札”は3枚と少なめに感じられるかもしれませんが、資料館内に展示されている“定宿帳”や“道中記”※1には玉屋の名が記されているものがあり、玉屋に“講札”が残る講の他にも、講の指定宿として利用されていたことがわかります。

 資料館内「土蔵」には数枚の浮世絵とともに、玉屋の“宿帳”が襖の下張りとして再利用された状態で展示されています。これには、80人を超える講の団体の宿泊が記されています。

 では、ご入館いただき、展示品をゆっくりとご覧ください。

※下に「深読みコラム」が続きます。

旅籠玉屋の店先に掲げられている“講札”

<この場所に行き、実際に見るためのヒント>

●関宿の中心部。中町北側。
●講札は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」の店先にある。
●資料館に入館した場合は、主屋座敷の展示ケース内にある“定宿帳”や“道中記”も併せてご覧ください。
●資料館土蔵内には、玉屋の“宿帳”が襖の下張りの状態で展示されています。旅人の出発地や人数を読んでみてください。
●入館券には歌川広重の東海道五十三次浮世絵「旅籠屋見世之図」(行書版)がプリントされています。観覧を終えた後、資料館の外観と見比べてみてください。

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<深読みコラム>

旅籠の店先は厳しいビジネスの場

“講”と“講札”

 “講”のうち、関宿の旅籠にとっては最も関係深いのは“伊勢講”と言えます。多くの旅人を関宿に誘い、街道や宿の整備などにも協力する、宿の繁栄には欠かせない存在でした。

【※関連記事:「伊勢神宮ゲートウェイ “東の追分 一之鳥居”」

 “伊勢講”は同じく伊勢神宮への信仰をもつ人々の集まりの総称で、日本各地に名前を違えてありました。これに参加する講員は参詣のための費用を積み立て、集まった資金で代表者を順次参詣させました。このことを“代参(だいさん)”と言います。

 こうした形式は、現在の団体旅行の原型ともいわれるもので、講員が多ければ資金も潤沢となって多くの人を代参させることができ、数十人、場合によって百人を超える規模の団体旅行となりました。代参者の中には数回の代参をすでに経験した“先達(せんだつ)さん”がおり、代参者を引率しました。

 代参では毎年、あるいは数年に一度は参詣するため、参詣の度に利用する指定宿“定宿”が講ごとあり、その目印として旅籠の店先に掲げられたのが講の名前を記した“講札”でした。玉屋に残る講看板のうち一番右にある「灯籠講」の講札には、伊勢での宿泊場所となるい「御師 宇仁舘太郎太夫」の名もあります。

 代参者が参詣を終え国に戻ると、講員が集まった報告会が行われました。旅慣れない講員の失敗談は、恰好の土産話となって会席を盛り上げたことでしょう。

 もう一つ旅籠と関係深かった講があります。街道沿いの旅籠が加入した旅館組合のようなもので、諸国を行商しながら巡った商人たちに安心して泊まれる旅籠を紹介しました。行商の商人たちには各宿の指定宿を記した“定宿帳(じょうしゅくちょう)”が渡され、旅籠には講の名を記した“講札”が掲げられました。“定宿帳”と“講札”を合わせながら安心して泊まれる宿を探したわけです。講に加入する商人や旅籠は、講の加入条件を守る必要があり、両者にとって安心することができました。

 いずれの“講”にしろ、旅籠にとって店先に掲げた“講札”は、旅人にとって安心できる宿であることを示すもので、その数はまさに旅籠の繁盛ぶりを示していました。

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歌川広重の浮世絵「旅籠屋見世之図」

 さて、そうした旅籠の繁盛ぶりを浮世絵にした絵師がいます。東海道五十三次浮世絵を世に出した歌川広重です。広重は、東海道五十三次浮世絵で多くの旅籠を描いていますが、関宿でも「旅籠屋見世之図」を残しています。

 「旅籠屋見世之図」は、天保12年(1841)~13年(1842)に江戸にあった“江崎屋”を版元として刊行された“行書版”や“行書東海道”※2と呼ばれている全55枚※3の東海道五十三次浮世絵の中の一枚です。

 関宿の旅籠の店先の様子が広重らしく生き生きと描かれており、旅籠玉屋(「関宿旅籠玉屋歴史資料館」)の往時の様子を伺うことができる絵として、関宿旅籠玉屋歴史資料館の入館券には「旅籠屋見世之図」が印刷されています。

関宿旅籠玉屋歴史資料館 入館券

浮世絵の旅籠にそっくりの旅籠玉屋

 今回の深読みコラムでは、関宿の旅籠を描いた広重の浮世絵をたよりに、当時の旅籠の様子を覗いてみたいと思います。

 浮世絵に描かれた旅籠では中央に出入口があります。左手がミセで、講札、行灯(あんどん)、宿泊客の荷物などが置かれています。行灯には「諸国商人衆定宿」「江さ記屋」の字が書かれています。諸国を行商して回る商人たちの定宿として繁盛していたと思われます。「江さ記屋」はこの宿の屋号ということになります。しかし、実際には関宿に「江さ記屋」という屋号の旅籠はありません。いや、あったのかもしれませんが、この絵はその「江さ記屋」を描いたものではありません。これは、行書版の版元である「江崎屋」の名を旅籠の名前として行灯に忍ばせたのです。画面の右下隅と、左上隅の建物の袖壁には意味不明の印がついていますが、これも行書版の版元のひとりであった“江崎屋辰蔵”の名から「江辰」が図案化されたものです。広重が絵の中でよくやる遊びですね。

【※関連記事:「浮世絵になった関宿本陣」

 建物に戻りましょう。入口右手には腰高の格子戸が描かれています。ここは旅籠の主人などの生活の場となったシモミセですが、旅籠玉屋でも同じようになっています。画面右上には2階の手摺が描かれています。ここは漆喰壁になっている玉屋とは少し違っているようです。

【※関連記事:「“宝珠”は旅籠玉屋のトレードマーク」

 浮世絵に描かれた関宿の旅籠と旅籠玉屋はそっくりです。もちろん広重が旅籠玉屋をみて描いたとは言えないでしょうが、旅籠玉屋が当時の関宿の旅籠の様子をよく伝えていると考えることはできます。

旅人と旅籠で働く人々の様子

 次に、描かれた人々を見ていきましょう。

 建物の入口に描かれているのは、旅籠の番頭と旅人でしょうか。番頭は愛想よさそうに笑いながら旅人の一人と話しています。旅籠の“売り”を聞いているのか、値段の交渉でもしているのでしょうか。旅人と宿の人々の掛け合いが聞こえてきそうですね。一方、後ろの旅人は交渉事は前の同行者に任せてよそ見をしています。前の旅人が先達なのでしょう。

 店先には、荷物を置き、板間に腰を掛けて足を洗う旅人がいます。旅籠が宿泊者にする最初のサービスは足洗桶やたらいを出すことでした。ミセの板間にいるもう一人の旅人は裸足ですからすでに足を洗い終わったのでしょう。二人はお互いに顔を見合わせながら談笑しているように見えますが、荷物を見ると座っているのは商人。板間に立っているのは武士のようで、一緒に旅をしているのではなさそうです。互いにその日の宿が決まり、ホッとして会話が弾んでいるのでしょうか。

 そして、画面左には、前掛けをつけた老婆が旅人の袖を引っ張っています。地面が少し黒くぼかされていますから時刻はすでに夕刻です。関宿には50軒ほどの旅籠がありましたから、宿泊客を確保するため少々強引な客引きもよくある事だったのでしょう。

 旅人は他にお目当ての宿があるのかちょっと困惑した表情です。老婆に袖を引かれたのでは無下にもできないといったところでしょうか。袖の引き方が少し遠慮がちに見えるのは、ひょっとすると老婆の熟練の技なのかもしれません。

 ちょうどこの記事を書いているのは絵と同じ夕刻。100数十年前、我が家の前でこんな駆け引きが繰り返されていたのかと考えると、とても楽しくなってきます。

<補足説明>

※1 “道中記” 旅の日記・記録としての意味とともに、江戸時代に刊行された旅行案内に“道中記”の名がつけられたものがある。“道中記”には街道筋の名所・旧跡、名物、旅籠などが記されていて、多くの旅人に利用された。今の旅行ガイドブックにあたる。
※2 このシリーズは画題が行書体で書かれていることから、他の東海道五十三次浮世絵と区別して「行書版」や「行書東海道」と呼ばれています。
※3 五十三次の宿それぞれと江戸日本橋、京三条大橋。関宿は東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿だが、絵としては48枚目ということになる。

<参考にさせていただいた本など>

『鈴鹿関町史 上巻』昭和52年/関町教育委員会
『関宿 伝統的建造物群保存地区調査報告』昭和56年/三重県鈴鹿郡関町
「亀山市史」(IT市史)/亀山市歴史博物

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